再構築中につきトッ散らかっています

ブログを書く前に、まず自分の一人称と文体を決められない俺

どの一人称が自分なのか… 未分類
「私」「俺」「僕」どれが本当の自分なのか… 自分の一人称と文体を決められない



自分の一人称に何を選ぶか。それは周りからの自分の見え方を自分で決めることだ。一人称で自分のキャラクターが、さらにはブログの方向性が固まる。それだけにかなり悩んでしまう。

男の一人称は大きく分けて3つの流派がある。「私」、「俺」、「僕」である(他の男性一人称として「自分」というのもあるが、これは軍隊文化からの体育会系であるか、故・高倉健さんのような不器用な男が使うものなので割愛する)。

まず男が「私」と使う場合、行儀はいいけれど堅苦しい。こっちは仕事でブログを書くわけじゃねえんだよ。
「わたし」→平仮名で「わたし」と書くくらいなら、漢字で「私」を使います。第一「わたし」は「たわし」と見間違える。
「ワタシ」「アタクシ」「ワタクシ」→はい、これは面倒臭い人です。なるべく関わりたくありません。

では「俺」を使うとしたらどうだろう。これは本人はイキがっているようだが幼稚さが隠せないという、女兄弟の末っ子長男的な甘やかされた俺様DQNのニュアンスも漂ってしまう。
「おれ」→シンプルに頭悪そう。俺も漢字で書けないのですか。
「オレ」→「おれ」よりは頑張っているようだけど、それほど変わらない程度に頭が悪そう。
「おら」→あなたはドラゴンボールの孫悟空、クレヨンしんちゃんの野原しんのすけ、そうでないなら東京へ行く前の吉幾三ですね。

ならば「僕」だとどうか。いい歳して「僕」…。
「ぼく」→小学生か!?いや、無邪気なポエムで汚い金儲けシステムを隠す糸井重里のやり方か!
「ボク」→なぜわざわざ片仮名に?これも面倒くさい人ならではの感じが漂う。

これら3大流派を前にして、「私」は使いたくないけれど「俺」は強がっている馬鹿っぽい、さりとて「僕」は子供っぽいし…と、くよくよ迷っているだけで2ヶ月くらいあっという間に過ぎるのである。あっという間に過ぎたのである!

さらにもうひとつ、文体をどうするかも書き手のキャラクターや文章の印象を左右するでしょう。文章の語尾を「です・ます」調にするか、「である・だ」調にするか。もしすべての文章を「です・ます」調で書くとすると他人行儀の堅苦しさがあるし、「である・だ」調で書くとなると我の強い感じがある。

ああ、自分の一人称と文体をどうしようか…。思い起こせば、小学校の国語の授業で、作文する際は文章中の一人称と文体を統一しろと教わったのだ。その記憶が呪縛として今の俺を苦しめている。

んー。

ところで日常生活での会話はどうなのだろうかと思い、自分の話し方を観察してみた。すると同じ相手(複数人も)に対する連続したひとつのコミュニケーションの中でも、その話し相手のうち年上に対しては「私」や「僕」、同い年や年下に対しては「俺」を使っていた。また自分の発言が相手に向いている度合いが強いほど「私」や「僕」を、内心の表現や独り言など自分に向いている度合いが強い場合は「俺」を使っていた。

つまり俺は一人称を統一せずに使い、それらの微妙な使い分けでコミュニケーションの対象や度合いを表現していたのだ。これでいいのだ。国語の授業の採点方法はもう関係ない。一人称だけでなく、文体だって同様だ。統一しないことに意図があるのなら、無理に統一して使う必要はない。

などという迷いがあったので、僕はこれまでブログを書けませんでした。でも一番の理由は面倒くさい、やる気が出ない、日常が少し忙しかったなどの怠け癖を発揮していただけです。

そういえばビートルズの4人の一人称を決めるときも、英語では皆同じ一人称の「I」をどう翻訳するかという問題があったそうです。ジョン・レノンは不良っぽいので「俺」、ポール・マッカートニーは甘いルックスのおぼっちゃんキャラなので「僕」を割り振った…みたいな話をミュージック・ライフ誌のバックナンバーかなんかで読んだ覚えがあります。そうです、男の一人称問題は1960年代から続く悩みなのです。なおジョージ・ハリスンとリンゴ・スターについては完全に忘れました。

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